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ジパングの民のメンタル・コントロール

皆さんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

 

最近、コロナによる行動規制が長いせいか、全体の閉そく感もいよいよバクハツしそうですし、

イライラしていたりせっかちな人も多いように見受けられます。

 

東京の医療従事者(先行でなくその他)のワクチンはやっと東京に到着したとか。

ワイドショーで1年前から言われていたことを、ようやく政府が最近みとめるというスピード感。(検査の重要性)

 

なぜ、このようになってしまったのでしょうか。ノーベル賞は他の国よりも多く、科学技術立国ではなかったのでしょうか。

わたしは、これは仕方のないことだと思っています。いろいろな要素がありますが、つまるところは、日本人の歴史や、国民性がそうさせていると思うのです。私たちが選んだ未来なのです。

 

これを読んでいただいている、あなたが属しているコミュニティを想像してください。

職場。ママ友のグループ。学校のクラブやサークルの仲間。老後の趣味のサークル。隣人。

日本では、すべてのコミュニティにおいて、年功序列です。誰がなんといっても、これは変わりません。先輩は先輩だし、何年目、どれだけ役職を歴任してきたか。どれだけコミュニティの歴史にかかわっているか。これがすべてです。私はこれは悪いとは思いません。そういう文化なのです。

わたしも、日本人ですから、同じです。たとえば上記のコミュニティーで、どんなに良い意見でも、自分より日が浅い、ド新人が、イキナリ大上段にかまえて、目立つ意見をいって、すぐに自分よりも上の方に飛び級でいってしまう。これはやはりよく思われません。

 

おそらくすべての日本のコミュニティーでそうでしょう。学会で新人がものすごい意見をいって席巻しているなど聞いたことがありません。ママ友でも、幼稚園や保育園に何人もお兄ちゃんやお姉ちゃんがいて経験があり、役員など歴任しているひとのほうが発言力がある。これはむしろ自明の理です。それだけノウハウがあるのですから。わるいことではありません。良い知恵の歴史とさえ言っていいと思います。

 

・・・仕事の相棒(2人で組むような仕事)を考えてみましょう。警察24時などでよく見ますが、ベテラン一人、新人一人、という感じでパトカーにのっています。新人がベテランに質問することはあっても、意見するなどという光景はみたことがありません。長いしきたりです。

 

アメリカの場合(ドラマの知識で恐縮ですが)どうでしょうか。やはりベテランと新人が組んでいても、そこにはあきらかな序列はなく、「バディ」という考え方で、ジョンだのトムだの、下の名前で呼び合います。解せないことがあれば、どんどん質問して、ディベートします。

若造、老いぼれなどと言い合い、しかし重要なところでは最大限に協力しあう。ただし意見が決裂すれば簡単に仕事をやめてしまいます。

この差。これはやはり儒教や、戦前の軍隊的教育、習慣も関係あるでしょう。

 

では、日本の都会の企業からムラの町内会まで、すべてに通じている儒教の考え方は、本当に損なのでしょうか。それは違うと思います。やはり日本は島国なので、島の中で仲良くできること。いざというときに島の外にたいして、わだかまりなく団結できることのほうが重要なのです。

ただ、新型コロナにおいては、そうした島国の中で慣れた私たちと相対するのは、グローバルな、生き馬の眼を抜くような世界で生き残りをかけてきた人種ともワクチンを取り合う構図になっています。

それは、負けますよね。どこよりも早いイスラエルは、「国民ひとりひとりが、生きのこるために何が重要か常日頃から考えるクセがからだにしみついている」らしいです。

お隣韓国のKBSをたまたま見ましたが、「どこのワクチンが」「いつ」「どこの港、空港に」「何本」「何人分」届くかを、逐一、報道しています。おそらく、かの国では、そうでもしないと国民がおこるのでしょう。

日本はどうでしょうか。そうした情報はほとんどありません。特に開示されなくても、だれがクーデターを起こすわけでもありません。騒ぐこと自体が目立ってしまうし、属するコミュニティーで終わってしまうから誰も騒がずじっといいこに待っているのです。そもそも、そうした言葉はたくさんあります。

そんなことで騒ぐほうがおかしいと、さんざん習ってきてからだにしみついているのです。

「武士は食わねど高ようじ」「心頭滅却すれば火もまた涼し」「長いものにはまかれよ」

「寄らば大樹の陰」 「言わぬが花」 「石の上にも三年」 「桃栗三年柿八年」

「いぶし銀」 「不言実行」 「縁の下の力持ち」 「〇〇さん/ちゃんスマイル」

「サムライ」「慌てる乞食はもらいが少ない」 「3日、3カ月、3年」 「心眼」

「〇〇は背中で語る、多くを語らない」などなど、、、、、

 

アストラゼネカの血栓騒ぎの実際真相は別として、日本が立ち遅れたのは、必ずしも悪いことではなかった、と感じさせます。

聞くところによると、われわれの期待する(すでに一部解明されだしているが)ファクターXがあるので、外国との交渉では、こんなことをいわれているらしいです。

「日本のみなさんは、ファクターXがあるのだから、われわれより状況はひっ迫しないでしょう。だから、あなたがたは後回しでいい」

これに対して、反論はあまりできなかったのでしょうね。

おそらくワクチンの契約も、同じでしょう。

日本人は、契約は、基本的に守ります。マスクを皆、紳士淑女的に守っているのでわかります。

外国では罰則がないと守らない。これも文化の違いです。ワクチンの契約をもし守らなかった場合、日本はきつい罰則条項をきちんと設けたのでしょうか。全然甘いのでしょうね。

生き馬の眼を抜く他の人種ならば、「もしも契約を反故にしたら、倍払う/今後契約しない/違約金を払う」などなどキッチリきめているのでしょう。

 

ああ、なんと私たち日本人の築いてきた文化、習慣は、世界的水準から見ると、ひ弱なのでしょうか。

でも繰り返しになりますがいいところも多いのです。銃もない。ゴミなどのマナーもいい。

 

だから、ワクチンが遅くても、そういう国なのです。だれも議事堂に殴り込んで犠牲者を出すようなきついデモをしたり、抗議の焼身自殺をしたりするような国民性ではないのです。

初期のコロナのクルーザーでも、委員会をつくり、紳士的でした。外国なら、海に飛び込む者が必ずいたでしょう。

これがわたしたちなのです。これがわたしたち日本・ガラパゴス島の多様性なのです。人類の多様性の一端を、役割としてしっかり担っているのです。

自分たちを卑下する必要はまったくないのです。「おかしい」のではなく、「をかし」なのです。

長くなりましたが、以上のような考えをもって、(あきらめではありません)前向きな覚悟があれば、

報道でもどかしい気持ちにいちいちならずにすむかもしれません。

 

『和を以て貴しとなす』 (604年 聖徳太子)

 

ではみなさん、ごきげんよう。

 

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